今年の夏は全国で色々な災害が発生しましたね。台風21号や西日本豪雨もありましたな。でもやっぱり北海道で起きた胆振東部地震は忘れられないです。何より、現地にいましたし…
私がモロに地震の被害を被ったのは、東京での東日本大震災以来でしたが、今回の胆振東部地震の方がなかなか強烈な災害でした。まあ、3.11の当時は小学生なので、そんな大変な思いするわけもないんですが笑
正直、地震のあとはなんか頭がポカーンとしたまま暮らしていたので、大して振り返りもしませんでしたが、ふと思い立って、書いてみました。ブラックアウトした北の大地で奮闘した、2人の大学生のお話ですので、読んでみてください。
さて、そんな波乱万丈な地震体験だったわけですが、そもそもなんで稚内にいたのか。というところをまだ紹介していませんでした。実は地震の夜、本当は震源にほど近い苫小牧市内のホテルに宿泊する予定でした。
稚内に至るまでの経緯を説明すると、どんな偶然が重なって、稚内野宿を慣行していたのかがわかると思いますので、今更ですが紹介しますね。
では、話は2018年9月4日の夜、旭川市内からスタートです。。。
運命を変えてくれた台風21号
僕は、8月24日に新幹線で北海道入りし、いつものごとく、優雅な夏休みを北海道で過ごしてました。道南から道央を通って道東まで抜けてそのあと道北に行って…と、自由気ままな旅をしている最中でした。
翌日の5日はまもなく廃線になる札沼線に乗りに行って、夜は苫小牧に宿泊、6日の夕方のフェリーで本州に帰ることが決まっていました。
でも、旭川のホテルに到着した4日夜の時点で、この先の予定が崩壊することは目に見えてました。あの関西空港を水没させた、台風21号が北海道に接近していたのです。
「まー、明日の朝は汽車動かないだろうなー」
なんて思いながらも、北海道を旅しまくっている私にとって、JR北海道の運休は日常茶飯事。特に心配することもなくホテルにチェックインして、そのまま眠りにつきました。
翌朝、ふと時計を見ると時刻は6時でした。6時28分の手稲行普通列車に乗る予定だった私は大急ぎで支度をして、ホテルを出します。
はい、この男。 寝坊したせいで、台風の存在をすっかり忘れてました!(←バカ)
それもそのはず、当日の旭川の天気は晴れ。風が少し強く、地面が濡れてることを除けばいつも通りの風景が街には広がっていたんです。
で、汽車に乗る気満々で近くのセイコーマートで朝ごはんを購入。いざ、駅へ向かおうとしたときに立ち止まったんです。
「あ、汽車止まってるかもしれないんだった!!!」
馬鹿かお前は。って何度も自分で突っ込みたいですが…って話はさておき、早速手元のタブレットで運行情報を確認し、札幌方面は午前中の全面運休が判明。やることもないのでホテルに引き返しました。
宿泊していたホテルに事情を説明して鍵を受け取り、ついでにパスするつもりだったホテルの朝食バイキングも優雅に頂きました。
連日の旅疲れもあって、部屋に戻って二度寝し、気づいたら、チェックアウト時間の11時。半分寝ぼけながら旭川駅に向かいました。
さて、旭川駅に着くと、さらに状況は悪化。16時までの札幌方面特急列車が全便運休とのことでした。
さて、こうなると本格的にやることがありません。と、言うことでとりあえず富良野線に乗車しました(旅慣れするととりあえず汽車に乗ることは日常です笑)
美瑛までお昼ご飯でも食べに行くかなーと思っていたのですが、なかなかに爽やかな青空だったので、美瑛の一つ手前、北美瑛で下車。
気持ちいい北海道の夏を、全身で感じました。
その後は、特に何をするでもなくそのまま旭川に帰還。とりあえずイオンのフードコートで昼食にしました。ふっつーにうどん食べた気がする…
とここで、私と同じく北海道が大好きなTwitterのフォロワーさんが、高速バスで旭川に到着するようだったのでお迎えにいきました。彼も、台風による汽車の運休で予定が崩壊し、とりあえずで旭川に逃げてきたところでした。
彼は僕と同じ大学生で、かなり趣味趣向が近いこともあってよく北海道で会っている人なので、Twitterのフォロワーと言うよりは、仲のいい知り合いぐらいの方がニュアンスは適切です。
ここで合流した彼と、一緒にブラックアウトを体験することになりますが、それはまだ先の話。でも、ここで会ったことが、この後の状況をかなり変えたことは間違いないです。
さて、台風によるJRの運休に悩まされている我々二人は、この先どうするのかを相談。各々行きたい所へ行くのもアリだし、一緒に行動するのもアリだし…
色々考えた末、とりあえず一緒に滝川行普通列車に乗ることにした。札幌方面の特急列車は全便運休だったが、普通列車は途中の駅まで運転すると駅の案内放送が流れていたので、それにかけてみようという話だった。
早速、普通列車が発車するホームへ移動。しかし、いくら待っても列車が来ない。。。
結局、車両繰りの関係なのか、発車時刻を過ぎてからこの列車の運休の知らせが。
また計画は白紙になってしまいました。
この時既に9月5日の午後2時を迎えようとしていました。
ただのノリで北上
私も彼も、札幌方面に向かいたいと思ってました。しかし、札幌方面は倒木が相次ぎ、とても列車の運行ができる状況ではない。16時以降の列車が運転される可能性はかなり低い状況だった。
でも、そこは北海道を愛する”北海道er”。JRの運休ごときでしょげてはいけません。今を楽しまないと!
ということで、2人で旭川駅の電光掲示板とにらめっこ。札幌方面以外の列車はどれもほぼ平常通り運転していたので、そっちに向かうしかありません。
駅のコンコースであれやこれやと話していたら、突然構内放送が。
「13時59分発、音威子府行普通列車、本日に限りまして稚内行として運転いたします。稚内までご利用のお客様は、お急ぎ3番線の列車にご乗車ください」
二人で「は????」といったような気がします。
音威子府行はキハ40で運転なのに、それが稚内まで行くなんて、、、
一般の方にはわからないと思いますが、これはとてもオタク心をくすぐる事案です。
既に音威子府行の発車まであと2分。もうやることなくて暇なんだし、とりあえず面白そうだから乗ろうよ。と、ホントただのノリで稚内行に飛び乗ってしまいました。
こうして、苫小牧とは真逆の、名寄方面に向けて旭川を後にしたのです。
午後の宗谷線ということもあり、車内はかなりの混雑。デッキにも立てず、車内の通路に立っていました。
北海道が大好きな2人ですから、しゃべりだすと会話のネタは山ほどあります。いつもしゃべり始めると終わらないんです。。。
徐々に空いてくる車内で、ずーっとしゃべっていたら、列車は途中の名寄に到着。
と、ここで、駅員さんが乗り込んできて、車内の乗客に告げました。
「稚内方面ご利用の方は向かい側の列車にお乗り換えください!」
結論から言うと、乗っていた列車が稚内行にいなるのではなく、音威子府行の到着を稚内行が待っているだけでした。
乗り換える車両はいつものキハ54。しかも車内はそこそこ混んでいます。もはやオタク心をくすぐるものは綺麗になくなってしまいました。
「なーんだ、コレじゃいつもと変わらないじゃん…」
と言いつつ、「お乗り換え済み次第発車します!」と駅員さんに言われると、吸い込まれるように稚内行の車内へ。
もはや思考停止の域に達しています。
こうして、我々は名寄を発車。なぜか稚内行に乗ってしまったのでした。
幌延に到着 後戻りできない世界へ
名寄を発車し、順調に北上する汽車に揺られつつもまだ内心に余裕がありました。
というのも、”まだ旭川に戻る汽車がある”ということを理解していたから。帰ろうと思えば帰れるというのはとても危険なもので、謎の安心感を産んでしまいます。
そんな危険も薄々感じながら、車内での会話も弾み、気づけば日没。列車は旭川から200㎞も走り、幌延駅に到着。ちなみに、旭川に泊まった前日、私が宿泊していたのはこの街だったので、元居たところに戻てきちゃっただけでした。
ここ幌延で、列車は10分ほどの停車。幌延から2つ先の豊富駅で、旭川に帰れる最終列車とすれ違いますが、もう二人とも旭川に戻るのがめんどくさくなってました。こうなったら、稚内まで行くことが決定です。
もしもここで旭川に戻っていたらどうなっていたんですかね…
18時41分、列車は幌延を発車。ブラックアウトの瞬間が刻一刻と近づいていました。
幌延発車からおよそ1時間後の19時49分。列車は終着の稚内に到着。私たちは、ただのノリで日本最北端の街、稚内まで来てしまったのでした。
2人とも何度も来たことのある街だでしたが、「最北端」という不思議な魅力には勝てなかったんですかね。
とりあえず「最北端だー」という実感に浸ってから、すぐに折り返し列車に乗車。ひとつ隣の南稚内駅に移動しました。
南稚内駅で汽車を降りると、「港の湯」というお風呂屋さんに行こう。ということで歩き出した。9月上旬とはいえ、ここは日本最北端の街。結構寒かったのはよく覚えています。
ついでにおなかもペコペコ、旭川を出てから6時間、何も食べずに来たのだから当然です。
風呂屋に到着して、入ろうか。というタイミングになったところで、近くでセイコーマートを発見。
「先にご飯にしよう。メシだメシだ。」という話になり、セイコーマートで夕食を買って風呂屋の前のベンチで食べました。
会話も弾みながら楽しく夕食を済ませ満腹いい気分にあったところで風呂に入ろうとすると。。。
なんと、閉館まであと15分。優雅にメシを食ってる場合ではなかった。。。 温まる暇もなく風呂から上がりました。ご飯より先にお風呂入っとけばよかった…と、後悔したのは言うまでもないですね。
風呂から上がると、とりあえず稚内駅へ歩いて行って、駅のベンチで休憩する。時刻は既に23時を過ぎていた。
ブラックアウトまであと4時間
夜の街を彷徨う2人組
先ほど、なぜわざわざ風呂屋に行ったのか。答えは単純明快である。
「ホテルを予約してないから」
突然の思い付きで稚内まで来てしまった我々にとって、当初から最も深刻な問題だったのは宿。宿泊するところがないのだ。
厳密にいえば、ホテルの空室が一切ないわけではない。しかし、稚内は宿泊価格の相場が高い。貧乏旅行をしている大学生2人にとって、この一晩で5000円を超える金額を払う決断はできなかったのだ。
しかも、2人とも明朝は5時20分の始発に乗ろうと決めていた。私は夕方までに苫小牧港へ行ってフェリーへ乗らなければならないし、彼もまた、夕方までに旭川に戻らなくてはならなかったから。
5時には宿を出なければならないと言うのに、そんな高額な料金は支払えない。だったら野宿だ。というのが2人の結論だった。
気が付くと、稚内駅の外は雨が降っていた。普段なら24時前に到着する最終の特急があるのだが、今日は前日の台風の影響で特急は全部運休。
24時前、駅舎を閉鎖すると警備員に言われたので、2人で外へ出た。先ほどまで強かった雨は、傘がいらない程度の小雨になっていた。
もう完全に居場所がなくなったので、稚内で唯一深夜営業しているカラオケ屋へ向かって歩き始めた。カラオケ屋は南稚内駅の近くにあるので、歩いて30分程度の距離だ。
道中、駅の裏の暗闇に、キツネと鹿を発見。稚内は、道内の他の町よりも街中にいる野生動物の数が多い。
南稚内駅が近づくと、JRの車庫をまたぐ跨線橋を発見。二人でそこに行って上から車庫を眺める。検修庫には、今日乗ってきた普通列車の車両と明日の運転に備える特急列車がエンジンをかけて止まっていた。当分列車が走らないことは知るはずもなく…
寒かったので、寄り道もほどほどにカラオケへ。値段がわからなかったが、寒かったのでとりあえずどこかに入りたかった。
さて、5分後、我々は外にいた。理由は以下の2点
①そもそも料金が少しばかり高かった。
②「今日は2時に閉めようと思ってたんですが…」って言われた
2時までしかいられないのにお金払うのかよーってことで、撤退したのだ。
この時、時刻は既に午前1時。
ブラックアウトまであと2時間
本日のお宿は「天北緑地」
カラオケを諦め、とうとう手段がなくなってしまった我々は、「どこか座れるところを探そう」ということになった。
そして目星をつけたのは、南稚内駅から徒歩10分ほどの場所にある「天北緑地」という公園的なところ。
早速歩いて移動。公園の中に入ると、公衆トイレの近くに屋根と軽い囲いのついたベンチを発見。
2人で若干喜びつつ、ベンチに座ってひと心地。でも、もう歩き疲れていたので2人ともベンチで寝っ転がりました。
…
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で、胆振東部地震 体験記 前編の冒頭につながります。
なんというか、この日は本当にすべてその場のノリで行動を選択していたので、こんなことになってしまったんです。もし、全力で苫小牧に向かって宿泊していたらどうなってたんですかね。多分、そっちの方が楽でした。フェリーも目の前だったし…
そうそう、今回のことでひとつ教訓もできました。
北海道の某人気すぎる深夜番組で、「夕飯を食べることを優先したあまり、宿がなくなった」という事件がありましたが、あれはあながち間違っていないです(笑) 飯より先にやることがあるなら、そっちが先。ご飯は後回しでも比較的困らない。。。
これは皆さんも心に刻んでおいたほうがいいですよ笑 あのタイミングでお風呂に入れてなったら最悪でした()
では、今回はこのぐらいで。まだ読んでいない方は、胆振東部地震 体験記 本編もぜひ読んでみてください。
コメント
君達は”北海道er”ではないよ…
JR北海道erだよ!
それと、さほど貧乏旅行者でもないと思ふ。
これからも、JRと各地ホテルにお金を落として欲しい!!
地震でのエピソード面白かったです!
これからもblog愉しみにしてます。
このブログ初コメですね、ありがとうございます。
僕はJR北海道以外の北海道に関することも全般的に大好きです!なので、今後はJR関係ない話題の記事も増えてくるかもしれません…笑
北海道に落とすお金を頑張って本州で稼いでる日々です。今後もよろしくお願いします!