胆振東部地震 体験記 後編(電気のない大地 縦断の旅)

~前回のあらすじ~

2018年9月6日午前3時08分、日本最北端の街、稚内の公園で野宿していた北海道大好き男2名は、寒さで死にそうだった。そんなところに胆振東部地震発生。交通機関はストップし、現金も大して持ってない中、旭川を目指して決死のヒッチハイク。

車を乗り継ぎ、何とか旭川に到着したのだった。

前回の分を読んでいない方はこちら →胆振東部地震 体験記 前編(電気のない大地 縦断の旅)

強すぎる駅 旭川駅の発見

13時前に旭川に着いた後、我々は疲れ果てて、駅前広場でのんびりと昼食を食べていた。疲れすぎて、1時間先のことも考えられない状況だった。これからどうするんだろう…と。

食事が済み、暇になった僕は椅子から立ち上がって、周囲を歩き始めた。特に何か探していたわけでもなく、ただフラフラと。

そこでふと、旭川駅の駅舎を見た。いつもながら、綺麗で雄大ないい駅舎だ。が、時計がずれていた。停電で時計が止まったのだろう。電気が止まれば、この巨大な駅舎もただの箱同然である。

しかし、時計がさしているのは9時前。停電が発生したのは3時過ぎだから…

(。´・ω・)ん? おかしいな? しかもよく見ていたら、時計が動いていた。その直後、僕はとんでもないものを見た。

駅舎の自動ドアが動いていたのだ。

どういうことだ???? 道内全域停電という事実を知っていた僕は理解できなかった。考える暇もなく、足は駅に向いていた。そして自動ドアを通って駅舎に入った…

旭川駅の中には、日常となんら変わらない光景が広がっていた。

全て点灯している天井の照明、いつも通り流れるエスカレーターの音声案内、灯りのついたキオスク、電源の入った自動改札機、列車の運転情報を知らせる構内放送に案内ディスプレイ、光り輝く自動販売機!!!!!

その直後、私は足早に友人のもとに戻った。そして思わず笑いながら言った。「駅舎の中電気ついてんだけど笑」 もう、驚きと嬉しさの融合で笑うしかなかったのだろう。友人も半信半疑だったが、とにかく荷物を持って駅に行った。

そして2人で茫然とした。今までにない感動を味わった。

改札前には、前日の台風の被害状況を知らせる張り紙があった。これが復旧する前に地震が起きたのだから、列車は当分動かないな。と確信した。

とはいえ、昨夜寝ていないことや、朝から歩き回ったこと、気を張っていたこともあって、二人とも疲労のピークに達していた。

駅舎の裏手に芝生があるので、2人でそこへ行き、休憩をしようと寝っ転がった。青空の広がる、気持ちのいい天気だった。疲れを癒すため、その場でしばらく休憩することにした。

「…ぉーぃ … おーい!」

友人に起こされた。どうも疲れすぎて寝落ちしていたらしい。日は傾き、肌寒くなっていた。

「中に移動しようよ」と言われたので、とりあえず荷物を持って駅舎内の窓際にあるベンチに移動した。寝ぼけていたので、どんな感じだったか、はっきりとは覚えていない。出入口の脇にある、いい感じのコーナーところを確保できた。

座ると、そのままベンチに寝っ転がった。もう眠気には勝てず、再び私は深い眠りについた。。。

また数時間たって、友人に起こされた。目の前には、2人分のマットと毛布が置いてあった。

今夜は行き場がない人のために駅舎を夜中も開放するらしい。それに合わせて、防災備蓄用品が配布されたということだった。正直、さっきまで寝ていた木のベンチは、硬くて寝心地が悪かったのですごくうれしかった。時刻はよく覚えていないが、8時は過ぎていたと思う。

こうして、この日の宿を旭川駅にすることが決まった。

流石にもう寝落ちする程は眠くなかったので、ひとまず朝買った食料で夕食にした。

ここで、この時の旭川駅の様子を紹介しようと思う。駅舎内に混乱はなく、大半の人が窓際にマットを敷いて休んでいた。もともと通路が広い駅なので、狭さは全く感じなかった。

昼の時点で始まっていた、スマホの充電コーナーは時間を追うごとにコンセントの数を増やし、夜には使いたい人全員にいきわたるほどの数になっていた。これで充電の心配はほぼ解消した。また、駅舎内にあるATMは通常通り稼働しており、現金を下ろすことができた。

とにかく、この旭川駅のおかげで、電気、現金、寝床を確保することができたのは、本当にうれしかった。ここに来なかったら、この日の夜また野宿していたかもしれない。

10時頃、駅の中を散策していた。窓から外を見ると、遠くの方に街灯りが見えた。ことの時、駅から1㎞程離れた一部の地域で電気が復旧していたようだった。しかし、そこまでの道が真っ暗だったので行くのはやめた。

その後は自分の荷物のところに戻って、ゴロゴロしていた。友人と北海道談義の続きをして気を紛らわせていた。

そして23時ごろ、眠りについた。

強い味方、旭川を離れて札幌へ

9月7日 私と友人は旭川駅で朝を迎えた。

8時前だっただろうか、またしても友人に起こされた。僕はほっとくといつまでも寝ているので、流石に笑われた記憶が…笑

JR北海道は全線の終日運休が決まっていると、駅の構内放送がかかっていた。トイレで顔を洗った後、朝ごはんを食べようということになった。しかし、連日冷めたものしか口にしていなかったので、僕が温かいものを探しに行くことになった。

駅前の通りを渡って、近くのセイコーマートまで行ってみた。昨夜よりも多くの信号機が復旧し、街は日常に近い光景を取り戻していた。セイコーマートに入ると、ちょうどホットシェフ(店内調理の手作りメニュー)の塩おにぎりが出来上がったところだったので手に取った。

久々の温かいご飯が目の前にある嬉しさは格別だった。フランクフルトもあったのでそちらも購入。友人の元に戻って、朝食にした。

人生でトップ3に入るおいしい塩おにぎりだった。

朝食を食べながら、2人で今後の対応を協議。旭川に居残っても先は見えないので、何らかの方法で札幌まで移動しようと決めた。朝食を終えると、早速僕は駅前のバスターミナルに向かった。札幌方面にバスで行く方法は何通りかある。しかし、どれも運休とのことだった。停電が復旧したのは一部地域だけ。まだ道路の信号が使えないところが多かった。

そんな時、近くでバス会社の職員の方の話声が耳に入ってきた。

「時間は読めないよな…」「何台用意できそう?」「本部の確認取れた?」

これはまさか…と期待を膨らませる。

話が一通り終わったところで職員の方に聞いてみた。そこで分かったのは「新千歳空港行の高速バスだけはなんとか運行できるかもしれない」という話だった。

信号が停止しているエリアを避けて迂回運行すれば、時間はかかるが新千歳空港までいける。バスも何台かは運行できる状態とのことだった。

その時、時刻は9時になろうとしていた。9時10分発の便はあと数人分しか残っていなかった。

買うなら今買わなければ埋まってしまう。だが、新千歳空港からの移動手段もない上、これから友人のところへ戻って荷物をまとめなければならない。

結局、このバスは見送ることにした。

でも、すぐにいい情報を手に入れた。「11時10分の便は走らせられる。」と

早速走って友人のところに戻って事情を説明した。迷っている時間はなかった。旭川から脱出する唯一の手段だったから。友人も賛同してくれ、乗ることが決まった。僕は一人で案内所へ急いだ。そして無事にチケットを2枚確保した。

こうして、旭川を脱出する手段が決まった。

このころになると、マットと毛布の回収が始まっていた。たたんだ毛布とマットをもって、市の職員の方のところへ持って行ってお礼を言った。

ここで、荷物をもってベンチの場所を変えた。気分転換もあったが、充電コーナーの近くに座って充電したかったというのもあった。ここで、携帯端末をフル充電にした。

バスが発車するまで2時間あった。そんな時、駅の構内放送で「イオン様による、食品の販売を行います」との放送がかかった。駅と直結しているイオンモールの出入り口で、おにぎりや非常食を販売してくれた。かなり安かったが、必要な分だけを買った。

また、駅のキオスクで唐揚げ弁当を発見。これで昼食にすることにした。

11時前、駅前のバス停へ移動し、新千歳空港行の高速バス「たいせつライナー」に乗車。

今年の5月に運行開始した路線だったが、まさかこんな形で利用することになるとは思っていなかった。バスはお客さんを満載し、2台体制で旭川駅前を発車した。

一晩お世話になった旭川駅は、ひときわまぶしく見えた。

新千歳空港、そして奇跡的に札幌へ

バスはゆっくりと旭川の市街地を抜けて、旭川鷹栖ICから道央自動車道に入った。ガソリンを買えないことが影響しているのか、車通りはそんなに多くなかった。

バスが高速に入ったころ、とんでもない情報が舞い込んできた。それは、

「快速エアポート 運転再開見込み」

我々は静かに歓喜した。今朝、旭川駅で道内全線の終日運休が発表されていたため、JRを使うことは諦めていた。しかし、快速エアポートが動けば、新千歳空港に着いた後、札幌まで移動できる。しかも、運転再開時刻は、ちょうど乗っているバスが空港に到着する時刻前後だった。

そんなことを2人でしゃべっていたら、バスは岩見沢SAに到着、しばし休憩となった。本来この路線は車内にトイレがついているので、途中で休憩はしない。しかし今日は、普段使っている車両を用意できず、トイレのついていない貸切用のバスで運行していたため停車した。

この休憩で立ち寄ったSAは、まだ電気が付いてないかった。

バスは札幌JCTで進路を南に変えた。ここで降りたいなーと思いつつ…  その後、千歳恵庭JCTから道東自動車道に入り、千歳東ICで高速道路を降りた。そしてバスは新千歳空港の入り口へ。

まだ地震発生から36時間ほどしか経っていなかったが、この日から新千歳空港は一部の国内線の離着陸が再開していた。しかし、札幌~新千歳空港間の「快速エアポート」の運転は再開していなかったため、車やバスで空港付近は大渋滞。空港の敷地に入ってからバス停まで、かなりの時間がかかった。

こうして我々は、混雑した新千歳空港に到着した。

新千歳空港のターミナルビルに入ると、あちらこちらが閉鎖されていた。特にショップコーナーは全面閉鎖。空港としての最低限の機能を保っている感じだった。各航空会社のカウンターには長蛇の列ができ、通路にもチェックインを待つ人であふれていた。

ここから飛行機に乗れるのであれば、それで東京に帰りたかったが、当然のごとく全便満席。昨日1日飛行機が飛ばなかった上、旅行客の多くが北海道から脱出しようと殺到していたのだ。

分かり切っていたので、ここはあきらめて、JRの乗り場へ向かう。途中で高校の同級生とばったり会った。北大に進学した子に会いに来たところで地震にあったらしい。同級生は、もともとこの日の飛行機を取っていたため、搭乗できそうだと言っていた。

羨ましがっている暇もなく、14時25分頃、新千歳空港駅に着いた。

すると、駅には見たこともないほどの長蛇の列ができていた。運転再開後の一番列車が14時15分に発車する予定だったが、折り返し列車の到着が遅れていて、まだ到着していないとのことだった。横4列の待機列が2本、長さ100mはあったと思う。

14時50分頃、札幌からの1番列車が到着し、多くの乗客が降りてきた。かなり混雑していたようだ。降車が完了すると、待機列が動き始めた。70mほど進んだところで、再び入場制限となった。

とはいえ、この列の長さならあと2,3本列車が来れば待機列はなくなるだろう。鉄道の輸送力は半端ではない。

札幌行の一番列車が発車すると、入れ替わりに札幌方面から2本立て続けに到着。当初、30分間隔で運転すると発表されていたが、15分間隔に変更になったようだった。

大量の乗客が改札口から出終わると、再び列が動いた。我々も改札口をくぐって車内へ。席は空いていなかったが、最後尾のデッキは誰もいなかったのでそこに乗り込んだ。

すぐに列車は発車し、札幌へ向けて走り出した。

この日は、札幌~新千歳空港間の快速列車だけの運転だった。同じ区間を走る普通列車も運休だった。それでも、線路を軽快に走り抜けていく景色を見ていると、なんともうれしかった。

我々は札幌までは行かず、途中の北広島駅で列車を降りた。

お風呂とお布団を得る

北広島で列車を降りた我々は、札幌に住む知り合いの方(M氏とします)が車で迎えに来るのを待っていた。その方は定山渓の旅館で働いており、そこに今夜は泊めて頂けることになっていたのだ。

しばらく駅の通路にあるベンチで休憩し、しばらくするとM氏が到着。友人と一緒に車に乗り込んだ。途中、ついていない信号機があるのはもちろん、路面が波打っている区間もあり「震源に近づいたな」という実感を持った。

途中でまたしてもセイコーマートに寄り、早めの夕食としてホットシェフの豚丼を3人で食らった。とにかくおいしかったということだけ覚えている。

一旦旅館まで行って荷物を置いた後、再び車に乗って小金湯へ。旅館の電気は復旧していたが、温泉がまだ復旧していないとのことだったので、連れて行って頂いた。

風呂では、地震の話はせず、もっとくだらない話をしていた。もう地震のことを考えるのは懲り懲りだったし、地震の話題はもうおなか一杯だったのかもしれない。

そのあとは旅館の部屋に戻り、3人で談笑。23時頃までしゃべった後、温かい布団へ入って寝た。

布団で寝たのは3日ぶりのことだった。

最後の気力で函館へ

9月8日 午前4時半過ぎ、私は一人で布団をから抜けだし、旅館の温泉へと向かった。昨夜まで使えなかった温泉が復旧したとの話を聞いたので、贅沢に一人で朝風呂を楽しんでいた。

なぜこんな朝早くに起きたのかだが、実は昨夜のうちに、私と友人が北海道を離れる手段が決まっていた。

友人は、札幌駅においてある自転車を回収したうえで、なるべく安く東京に帰りたかったので、この日の夕方、小樽を出る新潟行のフェリーを予約していた。

対する私は、この日東京で用事があったため、一刻も早く東京に行かねばならなかった。そのため、朝一番でここ定山渓を出発し、函館に向かい、新幹線に乗る必要があった。幸いにも新幹線は7日の夕方から運転を再開していたので問題この方法が最速だった。

そんなわけで、北海道を離れる寂しさと嬉しさを感じながら、朝風呂に一人で浸かっていた。

だが、のんびりしている暇はない。10分ほどで風呂を上がり、部屋で荷物を整えた。

午前5時過ぎ、まだ寝ている友人に「お疲れさまでした。ではまた。」と別れを告げ、旅館を後にした。北海道の冷たい朝の空気が身体に刺さった。

さて、「函館に行く」と言っても、まだそれが容易にできるような状況ではなかった。バスの運転再開時期はわからないし、函館行の特急列車も当面運休。結局頼れるのはヒッチハイクだった。

定山渓は、ちょうど札幌~函館を行き来する車が多数通過するところで、函館行の車を見つけやすい。だが、それは日常の話。ガソリンが手に入らないこの土地で、走れる車はもうほとんど残っていなかった。ましてや札幌~函館という長距離を車で走ることはかなり勇気のいることだった。

薄い霧のかかる中、国道に立った。しかし、車は数分に1台しか通らなかった。

スタートから50分が経とうとしていた時、1台の車が急ブレーキを踏んで止まった。

「函館?いいよ、乗んな」

乗せてくださったのは、札幌に住む男性の方だった。偶然ガソリンに余裕があるということで、函館に取り残されている知人を迎えに行くところだという。

中山峠を越えて、豊浦ICから高速に入った。とにかく交通量が少なく、この車に乗せていただけた感謝をかみしめた。

定山渓から2時間半、新函館北斗駅で降ろしていただいた。乗せていただいた方の車に、深々とお礼をして見送った。。。

そして、新函館北斗についた!!!!!!!!!!!!!

稚内から北海道を縦断し、ついに南の端まで来た!!!!!!!!!

思わずガッツポーズをした。周りに人がいなかったので、少し声も出した気がする。ここまでくればもう本州は目と鼻の先。新幹線という交通手段のありがたさを実感した。在来線だったらこうはいかなかっただろう。

早速みどりの窓口へ行って東京までの切符を買った。発車まで1時間以上あったが、空席は残りわずかだった。そして何より、高かった… 地震発生からここまで、金額は気にせずに暮らしてきたが、流石にこの金額には驚いて我に返ったのを覚えている笑

朝ごはんを食べていなかったので、駅前のコンビニでカップラーメンを買って食べた。寒さで冷えた体にしみた。この頃には、道内の多くの地域で電気が復旧していたので、コンビニも通常営業していたが、品薄状態は続いていた。

9月8日午前9時31分、新幹線は定刻通り、新函館北斗駅を発車。

そして4時間32分後の14時03分、私は無事、東京駅のホームに降り立った。

9月の東京は、暑かった。

END

読みにくい文章だったと思いますが、何かの記録になればいいかなーと思ってます。

多くの人に助けられて、無事北海道離脱できたことに感謝

時間があれば、裏話系も出したいと思います。

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