(JR北海道HPより)
2019年2月3日から今シーズンの流氷物語号の運転が始まります。流氷物語号の運転も今年で3年目ということで、かなり見慣れた光景になってきましたが、その運行開始までの道のりには、地元の観光関係者の方の様々苦労があったようです。
以前、観光関係者の方に流氷物語号誕生までのお話を聞いたので、その時のお話と流氷物語号の変貌について解説します。
目次
流氷物語号の歴史
流氷物語号は、2017年1月28日に運行を開始しました。
前年まで運行されていた「流氷ノロッコ号」が、牽引機関車の老朽化を理由に運転を終了したため、その代替として誕生しました。
2017年運行時は知床斜里を起点とし、知床斜里→網走→知床斜里→網走→知床斜里の順に1日2往復運転されるダイヤでしたが、翌年の2018年からは網走を起点とし、網走→知床斜里→網走→知床斜里→網走の順に1日2往復運転されるダイヤに改められました。
また2017年運行時は、前年までの流氷ノロッコ号の停車駅に準じて、北浜、浜小清水、止別に停車していましたが、翌年の2018年以降は止別は通過するダイヤに改められています。
JRから告げられた、ノロッコ号の運行終了
流氷ノロッコ号が廃止された2016年2月といえば、北海道新幹線の開業が迫るとともに、普通列車の大幅減便を3月に控えていました。言わば、JR北海道が最も暗かった時期です。
道内各地でイベント列車や観光列車の休止が発表される中で、流氷ノロッコ号の運転終了も、JRから告げられたそうです。
しかし、流氷観光の目玉である流氷ノロッコ号が運転されなくなれば、観光客数の減少を避けられません。沿線の観光関係者は何とか運転を継続してほしいと、JRにお願いしたといいます。
しかし、JRからの返答はNO。
当時のJR北海道は、安全性の向上や経費削減のため、老朽化したディーゼル機関車を廃車しなければならなくなっていました。機関車の数を減らせば、冬場の除雪に使用する機関車を確保するのがやっとで、ノロッコ号を牽引する機関車は到底捻出できません。流氷ノロッコ号を牽引するための機関車がない時点で、ノロッコ号の運転終了を受け入れるしかありませんでした。
流氷列車を諦めきれなかった
受け入れるしかない流氷ノロッコ号の廃止。しかし、観光の目玉がなくなろうとしている中、観光関係者も黙って引き下がるわけにはいきませんでした。このまま流氷観光用の列車がなくなれば、観光客は減る。しかも、釧網本線の存続すら危ぶまれてしまう。
そこで地元がJRに提案したのは「普通列車用の気動車でいいから、観光列車を走らせてくれ」という話でした。この提案がきっかけで流氷物語号が生まれたのです。
当初、JRは消極的だった
とは言え、「普通列車の車両で運転したところで観光客は乗ってくれるのか」という問題がありました。これまで運行してきたノロッコ号と違い、車両自体に全く魅力がありません。
かといって、車両数が不足しているJR北海道にとって、年に1か月しか運行しない観光列車のために、大規模な改装を施した専用車両を用意する余裕はありません。
この問題に対して、JRと地元関係者の立場は大きく2つに別れました。JRは諦めモードだったそうです。普通列車用の車両で観光列車を運転するなど過去に例がなく、ノロッコ号とは比べ物にならないだろうと。確かに、車両の差は大きかった。
しかし、地元関係者は諦めなかったそうです。というか、諦めるわけにいかなかった。多くの人に来てもらうために、なんとしてでも魅力ある列車を運転するしかなかったんです。
こうして誕生したのが、日頃は普通列車として運用できて、流氷のシーズンだけ観光列車に変身する「流氷物語号」のキハ54気動車2両だったのです。
▲2018年の夏は、2両セットで快速しれとこ摩周の運用にも就いた
運行1年目 ダイヤはコスト優先
そんな苦労を経て誕生した流氷物語号。運行開始まで、JRも地元関係者も、利用客数の想像がつきませんでした。
そんな中、運転を開始。これが1年目(2017年)の運行ダイヤです。
(JR北海道プレスリリースより)
知床斜里を起点として、2号、1号、4号、3号の順に運転されています。
実は整備点検の都合上、流氷物語号の車両は朝、釧路の車両基地から知床斜里まで回送され、夜になると再び釧路の車両基地まで回送さます。釧路からの回送費用を少しでも減らすため、釧路に近い知床斜里を起点に運行したのです。
しかし、この節約によって、いくつかの問題が生じました。
①流氷物語2号の乗車率が悪すぎた
オホーツク海沿岸の大きなホテルは、網走側に集中しており、知床斜里駅の近くにあるホテルは僅かです。そのため、この列車に乗れるのは知床斜里の僅かなホテルに宿泊した観光客のみに限られてしまいました。
その結果、朝の流氷物語2号は、2両編成に10人程度しか乗っていないという散々な状況が続きました。
②団体ツアー客を逃した
この手の観光列車において、最も大事な客層は団体ツアー客です。当然、団体ツアーは大きなホテルに宿泊するため、網走のホテルに宿泊します。
ところが、このダイヤでは朝一番の流氷物語号が10時56分発と遅め。これではツアーに組み込みにくいということで、、流氷物語号はツアーコースから外されてしまったのです。
これによって、乗客数が伸び悩んでしまいました。
③SL冬の湿原号との相性の悪さ
冬の釧網本線を走るもう一つの観光列車、「SL冬の湿原号」との相性が最悪でした。上り下りとも、1日でSLと流氷物語号を両方乗車することができず、観光客目線では非効率な列車ダイヤでした。
そのため、どちらか片方だけ乗車するという観光客が多く、結果、魅力の大きいSL冬の湿原号に乗客を取られてしまいました。
旭川→網走→知床斜里→釧路→帯広という、鉄道利用で巡れる観光ルートが、ダイヤによって不完全になってしまったのです。
回送中に事故 1両での運行に
運行期間中に恐れていた事態が発生しました。
車両基地のある釧路と、知床斜里との間の回送中、線路上に飛び出してきた鹿に衝突。その際、先頭を走っていた「流氷青」こと、キハ54 508号機が運転不能となりました。流氷物語号運転終了日までに修理を完了させるのは不可能だとして、その日以降、2017年の流氷物語号は、「流氷白」1両編成での運転となってしまいました。
▲2017年2月に撮影された1両編成の流氷物語号
乗客からは好評 ダイヤ見直しへ
乗客数は伸び悩みましたが、乗客数はJRの予想を上回るものでした。また実際に乗車した人からの感想は、予想よりも遥かに好評だったそうです。その一方で、運転時刻が原因の利用しにくさを指摘する声が多かったといいます。
そこで、JRと地元関係者は、運行時刻の見直しに取り掛かりました。こうして出来上がった2018年のダイヤがこちら。
(JR北海道プレスリリースより)
そもそもの運転形態を大きく変更しました。網走まで車両を回送して、朝一番の列車は網走発にすることで大口の団体ツアー客を取り込むことに成功。
また、流氷物語1号で知床斜里まで行き、後続の快速しれとこに乗り換えることで、SL冬の湿原号とをはしごすることができるようになりました。
運行2年目 結果は大好評
ダイヤを改善した結果、流氷物語の1日当たりの乗客数は昨年のおよそ1.5倍にまで大きく増加。1号から4号までのすべての列車が、連日ほぼ満席で運行され、浜小清水駅に隣接する道の駅は、連日大盛況だったそうです。
釧路~知床斜里間で運転されていた回送列車も廃止し、網走→釧路を定期列車の増結扱いで運転したことで、定期列車の着席需要にも対応できました。
▲2018年 流氷物語号運転日は、網走15時10分発釧路行が3両編成(後ろ1両締切)で運転された
3年目は2年目を継承
運行3年目となる今年は、大成功を収めた2018年の運行形態を継承するようです。
去年の成功が口コミで広がって、今年の乗客数が伸びることに期待したいところです。
流氷物語号のこれから…
近年、釧網本線は、様々な取り組みによって観光鉄道路線としての道を確立しようとしています。流氷物語号については、昨年、大成功を収めたことを受けてか、今年は昨年と同じ運行形態となるようです。今年も好調が続けば、この形を基盤として今後も列車が運行されていくことになると思われます。
今後も、地元に愛され、流氷観光を支える列車として、釧網本線を走り続けてくれることを願いたいと思います。
※これは個人的に伺った話を元に作成されています。記事内容には十分注意していますが、事実と異なる場合もあります。関係各所へのお問合せ等はおやめください。