日本最北端の地へ向かうローカル線、それが宗谷本線。
旭川と稚内を結ぶ全長259.4㎞の、超が付くほど長いローカル線です。このうち、南側3分の1にあたる旭川~名寄間は”宗谷南線”と呼ばれ、快速列車も多数運行されている区間です。
対する名寄より北側は”宗谷北線”と呼ばれ、特急が1日に3往復、普通列車も3往復程度しか走っていない超ローカル線。そんな宗谷北線は、他の鉄道路線では考えられない事が数多く起こっている変わった路線です。
今回はその中でも、長時間停車に関する話題です。
目次
16時05分着 17時07分発 停車時間は62分
宗谷北線の名寄~稚内間を全線走破する普通列車は、1日に上り3本下り2本しかありません。そのうち、午後の下り列車は14時55分に始発の名寄駅を発車します。終着の稚内には19時49分の到着なので、約5時間の長旅です。
名寄を出てからおよそ1時間で、列車は音威子府に到着します。ここで、宗谷本線名物のイベント(?)が行われます。
それが”1時間停車”と巷で呼ばれている62分間の停車です。実際には、様々な理由で到着が遅れることが多々あるため、62分間きっちり停車することはほとんどありませんが、おおむね1時間程度は停車します。
観光列車でもない普通の列車が、途中の駅で1時間以上停車するというのは、他の地域では考えられない話ですが、これが宗谷本線では日常的に行われています。
音威子府駅は長時間停車の聖地???
現在、音威子府で長時間停車する列車は、先ほど挙げた稚内行1本のみ。他の列車は運転士交代のための3分程度の停車時間しかありません。
ですが、ひと昔前ではもっと多くの列車が長時間停車していました。
手元でにある2011年の時刻表を調べてみたところ、82分停車する列車を筆頭に、1時間前後の停車時間を有する列車が数多くあり、普通列車大幅減便が行われた2016年3月以前の時刻表では、驚異の98分停車までありました。
正確なデータはありませんが、もっと古い時代にさかのぼると、もっと長時間停車する列車もあったようで、現在の62分停車は決して長い方ではありません。
では、なぜそこまで長時間停まる列車が多いのか考えていきましょう。
その昔、音威子府から稚内方面に向かう路線は2つありました。一つが現在の宗谷本線。もう一つがオホーツク海経由の天北線。この2つの路線の分岐駅ということで栄えたのが音威子府です。蒸気機関車の整備を行う機関区も設置されていたようで、そこで働く国鉄職員が多く暮らしていました。その当時であれば、時間調整や給水のために長時間停車していたことは不思議がありません。
しかしそれは30年も前の話。なぜ現在までこの風習が残っているのか、様々な説を考察してみました。
一般的な説
①反対列車や前後の列車との時間調整
これが最も有力な説です。宗谷北線は、列車同士のすれ違いをするための交換設備のある駅が少ないため、主要な駅で時間調整をする必要が出てきます。
実際、2016年3月に行われた普通列車大幅減便までは、ダイヤの都合で停車していた列車もありました。しかし、普通列車の本数が減った今、悲しいことにそこまでの長時間の時間調整は必要とされていませんので、現在の1時間停車を説明する理由としては説得力に欠けます。
②ただの名残説
これはふざけた説… かと思いきや、意外とそうでもありません。
鉄道のダイヤは様々な事項との調整を経て作成されているため、そう簡単に変更はできません。また、一からダイヤを作り直そうとすると結構な労力になってしまうため、昔のダイヤが名残として残っているものが結構多いです。
実際、謎の停車時間があったりすると、大昔に廃止された列車との通過待ちための停車時間の名残だったりします。
今回の例もその可能性は否定できません。少なくとも、2011年3月時点の時刻表では、現在の62分停車とほぼ同じ時間帯に82分停車する列車が存在しています。
個人的に推している説
①遅延時の調整用時間説
宗谷北線は様々な事情から、遅延が多発します。私も宗谷北線によく乗りますが、通年で20分程度の遅延は日常茶飯事、季節によっては30分以上の遅れも当たり前、2時間程度の遅れもまあまあ発生します。そんな宗谷北線ですが、先述のように交換可能駅は少なく、一つの列車が遅れると他の列車への遅れが波及しやすくなります。
そこで、線路の数に余裕がある音威子府で時間を調整して、遅れを吸収しているという説です。
②利用者に合わせた時間調整説
個人的にはこれが一番の理由だと思います。
音威子府以南と音威子府以北では、生活利用者の需要がある時間が違うから、それぞれの利用者の都合のいい時間に列車を走らせるために、時間調節しようという話です。
実際、音威子府以南では、名寄から通学通院で美深、音威子府へ帰る方の利用が多くみられます。対して、音威子府以北、特に幌延以北では、稚内方面へ帰宅する人の利用が多く見られます。豊富高校の通学にも利用されており、部活終わりの生徒には欠かせない列車です。ので、部活終わりの時間に列車を運転しようと思うと、この停車時間が必要となってきます。
これらのことに気づいたのは2016年3月の普通列車大幅減便のダイヤ改正時でした。明らかに長時間停車の必要がないほどに列車の本数が減った中、不自然な形で残った62分停車に違和感を覚えました。
しかし、列車の利用状況をよく観察すると、普通列車の時刻は主な利用者である高校生の通学時間に合わせられています。
大幅な減便を余儀なくされた中、JR北海道もできる限りの努力を施した結果が、この62分停車なのでしょう。
実はそもそも別の列車…
ここまで、62分停車の理由について考えてきましたが、そもそもこれら、実質的に停車時間になっているだけで、もともとは停車時間ではなかった可能性があります。
というのも、この列車、音威子府を境に南と北で列車番号が変わります。列車番号はあくまでも運行管理に使用されているものなので、乗客が列車から降りる必要はありませんが、元々は別の列車です。
つまり、別々の列車ではあるけども、極端に運行本数が少ない宗谷北線では、車両の都合で同じ車両が使用されている、というわけです。
まとめ
宗谷北線は、路線を取り巻く環境が他の路線とは大きく異なります。その状況の中で、より効率的な輸送を目指した結果、はたから見た時に非効率と捉えられるようなダイヤが完成したのでしょう。
宗谷北線は今、人口減少による赤字額の増大と闘っています。普通列車の運転をすべて取りやめるという案も上がっています。そうなれば、宗谷北線はまた他の路線とは違った性格が増えることでしょう。
そんな時、宗谷北線はどんな姿になるのか。どんな未来が待っているのか。楽しみにして待ちたいと思います。